地域に生きる“みまさか”の若手たち

西川貴章さん =美作市林野

地域に生きる“みまさか”の若手たち

西川貴章さん
=美作市林野

父の営む製材所を訪れるのはちょっとした冒険だった。 自宅のあった大阪市から、高速バスに乗って毎月のように美作市へ。幼い頃は母と一緒だったが、小学生になると1人で出向くことが増えた。
西川貴章さん

都市から人を呼べるような“岡山発”の物語を

祖父や親戚がかわいがってくれた。木材であふれた工場は遊び場だった。父も単身赴任して工場で働きだし、中学、高校になっても通った。
今、そこに社長として立っている。

国道179号沿いにある製材・建築の丸大製材所(同市朽木)。2014年11月、後を継ぐ決意をして移り住んだ。祖父が86歳で亡くなった昨年2月から社長を務めている。

「私にとって祖父は誇りだった。祖父は喜んでくれていると思う。口には出さなかったが」

大学を卒業した13年、主にテレビCMのロケをコーディネートする東京の企業に就職していた。

人生の転機は思いがけなく訪れた。翌年の夏休み。美作を訪れた際、製材所の先行きが父との間で話題となった。深刻な話ではなく、漠然とした何げない会話だった。

それでも、子どもの頃の思い出が浮かび、悩む自分がいた。大手企業のCM制作を担当するなど仕事のやりがいはあったが、意を決して退職した。

「祖父の会社をなくすのはどうしても嫌だった。後を継ぐと言い出さなかったら、祖父は会社を畳む覚悟だったと思う」

請け負った家屋の建築やリフォームの現場、取引先を祖父と回った。木材の加工技術の習得にも励んだ。「毎日が勉強と戸惑いだった」と振り返る。

「おじいさんに世話になったんよ」「お孫さんと聞いたで」。顧客や取引先から声がかかると、気が引き締まる。何十年も前に家を建ててくれたお客から「同じ会社で」とリフォームを依頼されることもある。

「やはり、なくしてはいけない会社なんだ」との思いは増していった。

「好きなようにやれ」。亡くなる前、祖父が掛けてくれた言葉を胸に刻んでいる。

美作産の木材を有効活用するため、かんなくずを利用し、社長に就任する前の18年春にヒノキ、今春にスギの香り袋を発売した。

木材を通じて地域貢献につなげようと、今年2月、家族連れや観光客ら向けの体験工房「くっつ木工房 丞庵(じょうあん)」を製材所横に開いた。

名称は祖父の名、丞(すすむ)にちなんだ。美作産のヒノキやスギに触れ、製材所を身近に感じてもらう機会になればと期待している。

業界の青年組織のほか、商工会青年部、消防団、前職の経験を生かして地元のフィルム・コミッションに所属する。地域とのつながりは深まってきた。

「どっぷり美作に漬かってます。これから、もっと、もっとでしょうね」

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