地域に生きる“みまさか”の若手たち

築山 弘毅さん =津山市川崎

地域に生きる“みまさか”の若手たち

築山 弘毅さん
=津山市川崎

築山 弘毅さん

日本経済の中心から適度に離れ広い視野で社会を見る

暗めの緑、青、赤などに塗られたキャンパスを、金や銀といった線が貫く。

2001年9月の米同時多発テロ、11年3月の東日本大震災など、重大な局面の為替相場や株価の動きをアートで表現する築山さん。「期待や不安、一喜一憂する人間の感情がもろに出る。変動を見ることで、当時を思い起こさせる」と言う。

ドイツで8年学び、昨春帰国。生まれ育った津山市の自宅にアトリエを構えた。現在、日本では初めてとなる個展を文化施設「ポート アート&デザイン津山」(川崎)で29日まで開いている。

近作を中心に17点を展示。作品は抽象的で「自分の絵を100%理解してもらうのは難しい」としつつ、「単純に絵としてきれいだと興味を持ってもらい、そこから何を描いているのか疑問に感じてほしい」と話す。

 

郷土ゆかりの若手美術家を育成支援する県の「I氏賞」。19年の大賞に輝いた築山さんは「マンガや雑誌のイラストを、そっくりに描けたらうれしかった」という子どもだった。

津山東高2年、進路を考えるこの時期に「画家」という明確な方向性が固まった。友人の勧めで市内の彫刻家・白浜行捷さん(故人)の画塾に通い始め、東京芸術大に進んだ。

「日本でしか学べない技法を習得したい」と日本画を専攻。同大大学院を修了し、描く素材やテーマを探そうとドイツ留学に出発する直前、画家人生を決定付ける出来事が起きた。

東日本大震災は、当時住んでいた東京でも激しい揺れを感じた。被災状況が連日報道される中、大きく変動する株価や為替相場に、作品のテーマが決まった。

シュツットガルト美術アカデミーで制作に取り掛かるも、なかなか理解してもらえない。まずは興味を持ってもらおうと、蒔絵の技法を活用。漆と樹脂を混ぜて下地の上に塗り、さらに色を付けたアルミニウムの粉末を付着させグラフの線を描いた。日本画で学んだ技で、16年のドイツの公募展で特別賞を獲得。18年にアカデミーの最高学位を取得した。

日本でも作品が認められたことに安心感があったという。帰国はI氏賞の受賞がきっかけ。拠点に故郷を選んだのは、実家があるだけでなく、日本経済の中心から適度に離れ「広い視野で社会を見ることができるから」とする。

10年に始まった「瀬戸内国際芸術祭」、16年にスタートした「岡山芸術交流」。岡山に関わる国際的なアートイベントの存在も、地方から全国にアートを発信しようという決意を後押しした。

新型コロナウイルス感染拡大で世界は混沌こんとんとしている。収束は見通せないが「乗り越えた時、その過程を表現できる作品を描いて後世に残したい」と思っている。

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