地域に生きる“みまさか”の若手たち

末澤 未央さん =津山市宮部上

地域に生きる“みまさか”の若手たち

末澤 未央さん
=津山市宮部上

「嫁に行かせるようなもの。できるだけきれいな状態で見てもらえるようにしてあげたい」と末澤さん。真庭市の総合家畜市場に向かう2頭を乗せたトラックを、手を振って見送った。
末澤 未央さん

牛も人も健康でいられる牛飼いを目指す

少し冷たい空気が漂う10月上旬の早朝。自宅そばの手作り牛舎で、末澤さんが夫の雅彦さん(45)と2頭の子牛に丁寧にブラシをかけていた。

2008年、高校卒業まで暮らした津山市宮部上にUターン。夫婦で設立した「さくら牧場」(同所)の代表を務める。黒毛和種の雌牛を飼育して交配させ、生まれた子牛を9カ月ほど育てて出荷する繁殖農家。親牛、子牛合わせて約20頭を飼育し、年間7、8頭を出荷している。

 

祖父母が牛を飼っていた。牛がいる生活は当たり前だったが、畜産農家を志していたわけではなかった。

「外に出てみたい」と津山高から奈良大へ。ワンダーフォーゲル部で打ち込んだ山登りが高じ、登山専門の旅行会社に就職。転職した北海道の環境省施設(エコミュージアムセンター)の職員として、子ども向け環境教育など「人と自然をつなぐ仕事」に携わった。

施設で野生動物の写真展示をしていた雅彦さんと出会い、03年に結婚。2人姉妹の長女だったこともあり「戻るなら子どもが小さいうちに」と、就学前だった長女と長男を連れて故郷に戻った。

周囲にあった耕作放棄地を何とかしようと雑草を食べさせたり、たい肥で土壌を改良したりできる牛に着目。牛舎はなくなっていたため、夫婦で廃材などを使い、半年かけて10年に完成させた。

牧場名にもなった最初の子牛「さくら」は、餌のあぜ草に含まれていた除草剤が原因で処分せざるを得なくなったという。つらい出来事も経験したが、先輩農家らに指導を仰ぎ、自家製の飼料を与えるなど、試行錯誤を重ねて頭数を増やしてきた。

「牛本来の生き方に近い飼育環境など、牛も人も健康でいられる牛飼い」を目指しつつ、6年ほど前から和牛のルーツとされる岡山原産の黒毛和種「竹の谷蔓つる」を飼い始めた。

国内最古とされる系統牛だが、飼育頭数が少なく「岡山の優れた血統の牛を残していきたい」と挑戦。肥育農家や精肉店と連携し、繁殖、肥育、販売を一貫して行う「六次化」に取り組んでいる。

県内の畜産農家の女性でつくる「おかやまフォーベルネット」と、美作県民局管内の女性農家でつくる「あぐり女史の会」の代表でもある。多忙な中、4年前からは地元の簡易郵便局長として働くのは「昔から小規模の農家がやってきた生き方。地域の人とのつながりが広がり、収入も安定する」からだ。

農業と他の職業を兼業する「半農半X(はんエックス)」的な生き方を実践している。

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