地域に生きる“みまさか”の若手たち

廣瀨 裕介・亮司さん =鏡野町山城

地域に生きる“みまさか”の若手たち

廣瀨 裕介・亮司さん
=鏡野町山城

この日の現場は、鏡野町中央部に位置する泉山(1209メートル)の近く。谷筋にチェーンソーの音が響き、ヒノキが倒される。 滑り落ちそうな急斜面をしっかり踏みしめ、従業員に指示を出す裕介さん。木に巻いたチェーンにフックが取り付けられたのを確認すると、トランシーバーで合図を送る。
廣瀨 裕介・亮司さん

貴重な林業技術つなぐ

上空およそ30メートル。斜面に沿って約250メートル張られたワイヤにつり下げられた木は、あっという間に集積場所まで運ばれていった。

かつてはメジャーだった「架線集材」。作業道を整備して林業用重機で搬出する方法が主流となった今、扱える業者は少ないが、伐採を手掛ける「廣林(ひろりん)」(鏡野町山城)代表取締役の裕介さんにはこだわりがある。

主流の方法は否定しないし、自らも大半の現場で行っている。だが、急峻(きゅうしゅん)な地形の日本で重機が入れない場所でも木を切り出せる技術は山を守る観点からも「使える人を絶やしてはいけない。若手に伝えなければならない」。

個人で林業を始めた父・巍(たかし)さん(故人)に連れられ、子どものころから山に入っていた裕介さん。4人兄弟の三男。「誰かが手伝わないと」と勝間田高林業緑地科(現総合学科森林コース)卒業と同時に、林業の道に飛び込んだ。

県内外の山林で腕を磨き、20代半ばから当時はまだ珍しかった高性能林業機械を活用。仕事量を増やし、2010年に念願の法人化を果たした。巍さんが亡くなる前年だった。

“3代目”も誕生している。裕介さんと同様、小学生の頃から作業に触れてきた長男・亮司さんは「廣林で働く」と心に決め、津山工高土木科に進んだ。卒業後すぐに働き始め「自分の手で山がきれいになっていくのが好き。成果が目で見て分かるのにもやりがいを感じている」と言う。

高さに太さ、そり方など、千差万別の木を上空から1本のワイヤでつり下げる架線集材は決して簡単な技術ではない。背中で語る師匠・裕介さんに学び、基本的な作業はできるようになったが「斜面の傾斜など周囲の状況を正確に判断する応用はまだまだこれから」と厳しめの自己評価だ。

亮司さんは昨年、美作地域の若手木材業者らでつくる美作木材青壮年経営者協議会に参加した。メンバーの多くは切り出した木を建材などに加工する業者。「木の使われ方やどんな木材が求められているかなど、学ぶことが多い」と刺激を受けている。

安価な外国産との価格競争、担い手不足や高齢化など、林業を取りまく環境は厳しいが、「木を植え、育て、伐採するサイクルが林業。循環しなくなれば山が荒れ、(土砂崩れなど)災害リスクが高まる」と裕介さん。本来の間伐や伐採だけでなく、年間約20カ所という植林にも力を入れている。

「地域の山を良い状態で次の世代に渡したい」と口をそろえる裕介さんと亮司さん。まなざしは、未来を見つめている。

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