地域に生きる“みまさか”の若手たち

貞森 泰明さん =美作市下香山

地域に生きる“みまさか”の若手たち

貞森 泰明さん
=美作市下香山

日焼けした笑顔にサーフボードがよく似合う。 海に面していない作州ではメジャーとはいえないサーフィンと出合い、30年が過ぎた。自宅から車を走らせること1時間半、週のおよそ半分は初心者らの指導などで鳥取の海にいる。
貞森 泰明さん

好きな波乗りを仕事に

平日の午前に向かうこともたびたび。「二度と同じ波がこないのが魅力。鳥取まで距離があるので道中も楽しさがある」。プライベート時は、日の出の時刻のころには海に入っている。

サーフショップ「FRENZY(フレンジー)」(津山市大田)のオーナーは、ひと波乗った後の午後には店を開け、常連客らと波乗り談議で盛り上がることもしばしばだ。すっかり定着した暮らしだが、「よもやショップをやるとは」。県北で唯一の専門店を経営する自分に驚いてもいる。

江見商業高(林野高に統合)1年の時、知り合いに連れられて行った海でボードに乗ったのが初めて。建築関係の仕事に就こうと、大阪の専門学校に通った2年間でのめり込んだ。

趣味にしていた同級生たちの影響で、和歌山や高知のサーフスポットへ。卒業後に大阪で就職した住宅や店舗の設計施工会社が1993年に倒産し、潮目が変わった。

「海外でもサーフィンできるぞ」。専門学校時代の友人の言葉に心が動いた。独立する先輩社員の誘いを断り、友人が始めた、米国で洋服や小物などを買い付ける仕事を手伝った。

販売先を求めて営業で訪れたのが当時、津山市内にあったサーフショップ。「生まれ育ったところだし、20代のうちに友達や仲間が多い地元でこれまでのスキルを生かせる職に就きたかった」。24歳で約3年続けた買い付けの仕事を辞め、転職。7年がたち、店が津山から撤退した03年、拠点をなくしたくないと今の店を開いた。

「貞森さんのおかげで人が育ち、岡山のサーファーに対するイメージも良くなった。面倒見はいいし、技術もある」。日本サーフィン連盟の前岡山支部長、有田卓也さん(59)は現支部長の貞森さんを高く評価している。

ごみの片付けといったマナーから徹底し、岡山のサーファーたちと鳥取のサーファーや地元住民らとの橋渡しも担う貞森さん。日本連盟の公認ジャッジで最上位のA級資格を持ち、競技人口の拡大に努め、100人以上という支部会員を引っ張る。

ショップは開店から15年を超え「立地条件はあまり気にならない。好きなことを軸に、どう成り立たせるかだけ」。早くから初心者らの指導に力を入れ、常連客らの横のつながりもあって安定した経営を続けられているという。

来夏の東京五輪で初採用されたサーフィン。注目が高まる中、「県北からプロサーファーを育てたい」。熱い気持ちは衰えない。

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