地域に生きる“みまさか”の若手たち

スミダ商店 店主住田 明大さん =真庭市久世

地域に生きる“みまさか”の若手たち

スミダ商店 店主住田 明大さん
=真庭市久世

白い壁に木製の商品棚。大きな黒板には地元アーティストがチョークで少女や花を描いている。真庭市の久世商店街で70年続く「スミダ商店」。八百屋としては異色だが、ぬくもりを感じる店だ。
住田 明大さん

久世のまちをにぎやかだった昔の姿に

白い壁に木製の商品棚。大きな黒板には地元アーティストがチョークで少女や花を描いている。真庭市の久世商店街で70年続く「スミダ商店」。八百屋としては異色だが、ぬくもりを感じる店だ。

 店先には、地元で採れたニンジン、コマツナ、イチゴといったみずみずしい青果がずらり。豆腐やみそ、茶葉など加工品も真庭産がそろう。「生産者に代わって食材のおいしさを伝えるのが店主の役目」。住田さんの思いは熱い。

 ブルーベリーやナシなど季節の果物を使った住田さん手作りのジャムが並ぶことも。旬の野菜の詰め合わせを宅配するサービスは、都会の子どもや孫向けに根強い需要がある。

 3代目として生まれたが、すんなり継いだわけではなかった。

 京都の専門学校に進学後、ファッションに興味を持ち、卒業して岡山市のアパレル販売会社に就職。常連客に誘われて始めたカヌーにのめり込み、高知県の四万十川など各地の川を下った。カヌー中心の生活にするため25歳で退職。北海道の釧路川でネイチャーガイドをしながら川下りに明け暮れた。

 26歳で渡米し、カヌーイストの聖地とされるアラスカ・ユーコン川で2カ月を過ごした。夢をかなえ、雄大な空の下、自らの将来についても考えた。

 「あんたなんか死んで帰ってくればよかった」。旅を終えて家に戻り、思わず次の旅行への意欲を口にした時、心配をかけ続けた母からの言葉は痛烈だった。「店を継ごう」。覚悟が決まり、翌日から店頭に立った。

 両親を手伝い始め、3、4年は売り上げを伸ばしたが、以降は高齢化や商店街の地盤沈下で下降の一途。建物の老朽化も進んだため、店頭販売をやめて卸売り一本にすることも考えたが、祖父の代から続く店を閉める決断はできなかった。

 7年前、3代目を継ぎ、逆に攻勢に出た。店舗の改装を決行し、店名も「スミダストアー」から、あえてレトロな響きの「スミダ商店」に変えて再スタートを切った。若い客が来店するようになり、料理店や仕出し店からの注文も増え、持ち直した。

 2年前からは、商店街に人の流れをつくろうと、勝山のカフェや久世のパン店の経営者とタッグを組み、店先での出前販売を開始。多い日は50人が訪れるまでになった。昨春、地元飲食店など21店を集めて初開催した「くせまちなかバル」も成功した。

 住田さんは、木造の旧遷喬尋常小(国重要文化財、鍋屋)で、昭和の給食メニューが味わえるイベント「なつかしの学校給食」を主催する市民グループ「まにワッショイ」の創始者の一人。グループから派生したバンド・配膳ボーイズのリーダー兼ボーカルも務め、持ち前の美声で会場を盛り上げる。

 「久世のまちをにぎやかだった昔の姿に少しでも近づけられたら」。そんな思いが住田さんの原動力だ。

PageTop