地域に生きる“みまさか”の若手たち

横林 太輝さん =美作市粟井中

地域に生きる“みまさか”の若手たち

横林 太輝さん
=美作市粟井中

 愛する人が死を覚悟して出陣。緋色(ひいろ)の袖は涙でぬれた。初めての女形は切なく、はかない役だった―。  明智光秀と羽柴秀吉の争いを脚色した「絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場」。昨年10月、美作市粟井中の歌舞伎舞台・春日座で開かれた粟井春日歌舞伎の定期公演で、横林さんは光秀の子・十次郎のいいなずけ、初菊を情感たっぷりに演じきった。
横林 太輝さん

歌舞伎が生活の一部であってほしい

 春日神社(同所)の秋祭りの奉納芝居として江戸時代から続く粟井春日歌舞伎は、地元の庶民が演じる地下(じげ)芝居の一つ。高度成長期に農村部からの人口流出やテレビの普及で一時衰退したが、1977年に地元住民が保存会を結成して再興した。美作市の重要無形民俗文化財に指定され、会社員や公務員など約25人が地元の伝統を受け継いでいる。

 横林さんは保存会メンバーの一人で、学校講師の傍ら、年に一度の舞台に熱く燃える。

 曽祖父の代からの歌舞伎一家に育った横林さんは、小学2年生で初舞台を踏んだ。父・秀樹さん(60)をはじめとする先輩役者の姿を見てあこがれ、次第に「あの役をやりたい」という役者としての自我が芽生えた。

 「演者が違えば登場人物の性格やしぐさが変わり、別の人物になる。自分自身でキャラクターを作り上げていけることが地下芝居の魅力」とのめり込んだ。

 2010年、大阪の大学に進学したが、在学中も帰省して出演を続けた。「歌舞伎が生活の一部であってほしい」との思いから、卒業とともに迷うことなく帰郷した。

 保存会は40代以上が主力で30代はわずか1人。次世代への継承が課題になっている中で、20代は横林さんと同級生の計6人が役者や裏方として関わる。

 きっかけは14年春。Uターンした4人と地元にいた2人の計6人が集まった際、横林さんが声を掛けたところ、ほとんどが「参加してみたい」という返事だったのだ。

 その秋の定期公演から横林さんを含む5人が毎年舞台に立ち、残る1人も昨年、裏方を務めた。

 背景には1998年から地元の小学6年生が定期公演に出演していたことがある。

 6人は2003年、同級生15人で舞台に立った粟井小(15年に閉校)の仲間。歌舞伎を演じることへの抵抗感はあまりなく、喝采を浴びる喜びも知っていた。心のどこかにあった「みんなともう一度、歌舞伎ができたら」との思いが社会人になって形になった。

 「歌舞伎が地域の人や同級生とのつながりを感じさせてくれている」と横林さん。保存会は、外国人向けの歌舞伎体験ワークショップなど地域活性化にもつながる新たなアプローチを始めている。「地下芝居にはまだまだ大きな可能性が残っていると思う。若手が中心になって、新しい風を吹かせたい」

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