地域に生きる“みまさか”の若手たち

高山 真宏さん =勝央町植月中

地域に生きる“みまさか”の若手たち

高山 真宏さん
=勝央町植月中

一粒一粒がまるで宝石のようだ。房の下から優しく手を添えて、輝きを確かめる。今年も上々の出来だ。 「豊かな自然や地域の人たちとのつながり。お金では表せない価値、魅力がここにはある」 ブドウ専業農家の高山さん。組織の一員にすぎなかった都会での会社勤めとは対極にある勝央町での充実した毎日。一年で最も忙しい出荷のピークが過ぎ、今、ようやくひと息つけるようになった。
高山 真宏さん

都会と対極の価値実感

高山さんは千葉県出身。明治大を卒業し、半導体などを扱う東京の専門商社に就職。約1時間半、満員電車に揺られながら新宿まで通勤していた。

移住のきっかけは東日本大震災だった。東京電力福島第1原発事故に伴う計画停電などで、出社できなかったり残業しなかったりする日が増えた。家族と自宅で過ごすうちに、会社人間としての生き方に疑問が芽生えた。

「仕事も一生懸命にこなしながら、家族と濃密な時間を過ごす豊かな暮らしがしたい」

漠然とした思いを抱き始めたころ、父親が定年退職を機に、千葉から古里の勝央町に帰ることを聞き、子どものころの懐かしい記憶がよみがえった。夏休みになると、両親に連れられ勝央の祖父母宅に帰省。おいしいブドウを食べていたことだ。

「自分で働き方をコントロールできる。家族とも地域とも今よりも深くつながることができる。農業はうってつけの仕事」と直感。2011年9月に移り住んだ。祖父母が住んでいた家に、妻、子ども4人との6人で暮らす。

ブドウ作りは順風満帆ではなかった。土作り、水やり、枝切り、施肥など、どれ一つとして手を抜けない。家族を養えるだけの収入を得られず、最初の2年ほどは貯金を取り崩しながら生活した。

支えてくれたのは先輩農家だった。草刈りの仕方に始まり、病気の兆候や農薬を使用するタイミングなど専門的な知識も教えてくれた。

「地域の人が導いてくれたから暗闇の中に光が見えた」

約25アールから始めた畑は現在、4倍の1ヘクタールに拡大した。瀬戸ジャイアンツを中心に、ピオーネ、オーロラブラック、シャインマスカットなど年間の収穫量は約6トン。自身が開設した直売所やインターネットを通じて全国に販路を広げている。

目指すのは“チーム農業”。その足掛かりとして16年に農業法人「プラットファーム」を設立した。プラットホーム(基盤)とファーム(農場)の造語で「農業を土台に人づくりを進めたい」という思いを込めた。

今植えている全ての木で収穫が可能になる数年後には従業員を雇う計画だ。

「勝央で代々受け継がれてきた農業のノウハウは地域の財産。先輩から学んだ知識と今の幸せ感を後に続く人につないでいくことが僕の使命」。ブドウ畑に腰を下ろし熱く語る。

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