ニューノーマルへ-コロナとその先-
【#13】美作市在住コミュニティナース・十時奈々さん
〜つながりの意味を考える〜
コロナ禍により、医療現場は大小様々な対応に追われている。ニュースで報道されるような新型コロナウイルスに感染した患者を受け入れている病院で、感染防止と重症化した患者の対応にすさまじい状況となっていることは、みなさんもご存じのことだと思う。
このみまさかエリアに関していうと、感染が確認された人は数名にとどまってはいるが、一部のデイサービスが運営を控えたり、都会から家族などが帰ってきた訪問介護利用者への、ヘルパーによる訪問サービスの提供を2週間控えるといった感染拡大防止策をとっているところもある。病院や施設に関しても面会禁止といった事態になっている。
地域に出てコミュニティナースという活動をしている私はというと、サロン活動や体操教室が軒並み中止となり、自宅へ訪問していた方の訪問を控えたり、入院してしまった住民さんへの面会もできなくなったといった状況である。
私は地域の方々の健康のために何か役に立つことはないかと活動をしている。それはなぜか。
一つは、平均寿命と健康寿命が延びている一方で、その差が拡大していることだ。それは、高度医療技術では救えず、なすすべもなく暮らしている方が増えていることを示している。
予防医学研究者の石川善樹氏は、「人とのつながりが多い方が2倍長生きする」「見舞いに来る人が多いと死亡率が下がる」といった研究結果を発表している 。1)医療技術でない人とのかかわりが健康寿命に影響を及ぼしていることも分かってきている。「看護とは患者と看護者それぞれが互いに学び、成長していく人間と人間の関係」という看護理論がある。つまり、人と人との関係性そのものが看護なのであり、それが健康につながるのであれば、地域に出て、そこに関わる看護師がいてもいいのではないかと思うのである。
私は神戸といういわゆる都会で暮らし、地域医療を経験してきた。病院もたくさんあり、救急医療の体制も平均して7分で救急車が来るようなところだ。介護サービスといった資源も多く、在宅医療も充実しているといえる。しかし、「病院の存在や非存在」と住民の「死亡率(SMR)」の間に因果関係はないといわれている。2)つまり、病院の数が多いからといって死亡率が下がるわけではないのである。
約3年前、みまさかにやってきて、いわゆる過疎地の方々の暮らしを垣間見させていただいた。救急車が来るまで30分以上、下手をすると1時間はかかる地域である。訪問リハビリを受けたいと思っても、来てくれる事業所がない。いままでかかっている先生の訪問診療を受けたいと思っても、訪問エリア外で対応できなかったりする。事業所数は限られ、選ぶことはおろか、来てくれるだけでありがたいのである。
ここに来て驚いたのは、ヘルパーに来てもらってまで在宅で暮らそうという考えがない方が多いことだ。介護が必要になれば、つまりヘルパーが家に来るような状況になれば、病院か施設に入るのが当然だという。最初は単に訪問介護や訪問看護といったサービスを利用しながら暮らせることを知らないからでは…と思ったが、それだけではなさそうだった。
90歳になっても畑などで農作業や草取りを続ける方が多い。自分の家をきれいにすることは家を守ること、それが自分のお役目だと毎日、庭や玄関をきれいにされている。やりがいや生きがいがあれば人は長生きするといわれるが、この地域の高齢者が元気な理由だと感じた。畑など農作業に関してもそうだ。いつまでも、家を守る、農作業を続けることがお役目になっているからこそ元気でいようという気持ちが元気にさせているのである。
また、医療が届かない地域であることは今に始まったことではない。そのなかで、どう生きていくかは昔から感じているという。岡山市内の大きな病院へ入院する方も多い。そうなると面会も頻繁にはできない。そのような現状を昔から見てきて、ここに住む限り、そういうことも含め覚悟しなければいけないことを受け入れているようにも感じた。
さて、コロナ禍の今に話を戻そう。コロナウイルスの蔓延により非常事態宣言がなされ、外出制限を余儀なくされた。サロン活動や体操教室などの活動ができなくなった。たしかに、人とのつながりが物理的に制限されてしまい、孤独を感じた方もいる。
一方、普段からサロン活動などに参加していない方々の生活は変わっていないといわれる。むしろ、今まで人とのかかわりが少なかったことに、マイノリティのような肩身の狭い思いをしていたのが、自分のライフスタイルを崩すことなく過ごせるようになり、ある種のステイタスになっているようにも感じられる。
先述した、人とのつながりが多いと2倍長生きするとか、お見舞いに来る人が多ければ死亡率が下がるといったかかわりが制限されてしまう今、このつながりの意味を深く考えさせられたのだ。
たとえば、先日、一人の俳優さんが自殺されてしまったが、人間関係も仕事においてもつながりは多かったにも関わらず、精神的な孤独を抱えていたと報じられていた。もともと多くの方とつながるのが苦手な方もいる。そういう方が人とのつながりを増やしたところで逆にストレスに感じ、寿命が縮まるのではないか。過疎地や移動手段がないといった理由でかかわれないこともあるだろう。もちろん、物理的な孤独が生まれないような対策は必要だが、コロナ禍を踏まえ、これからは精神的な孤独を抱えないようなかかわりというのが大切なのではないかと思うようになった。
また、面会ができなくなる。病院に通院できない、適切なリハビリができない、救急車が来るのに時間がかるなど、今後コロナ禍が進んでいくとさらに困難な状況になるかもしれない。コロナのせいで自分の暮らしや人生が変わってしまったと嘆く方もいるだろう。しかし、ふとこの地に目をやると、そういった状況がすでに日常で、その中で暮らしている方がいる。しかも自分の人生をその環境のせいにするのではなく、覚悟を持って、自ら選んだものとして、人生を全うしている人がいるのだ。
みまさかに来て、過疎地で暮らすことの覚悟をもっておられることが、そこでの暮らし方に繋がっていると感じている。コロナによる非常事態だけでなく、災害時にも言えることだと思う。都会であろうと田舎であろうと、いつ災害や非常事態がおこり生活が変化するかわからない。80歳台、90歳台の方々の生き方を見直し、精神的な孤独をつくらないかかわりを模索することが、私を含め、それぞれの生き方に繋がっていくのではないかと思うようになった。過疎地に限らず、これからの生き方に繋がっていくのではないかと考える。
十時奈々 コミュニティナース(美作市在住)
ととき・なな 1998年に看護師となり、神戸市内の病院に勤務。訪問看護師を経て、2017年、美作市に移住し、地域住民に寄り添うコミュニティナースとして英田上山地区で活動する。現在は訪問看護師。英国IFA認定アロマセラピスト。自己紹介ページは
https://peraichi.com/landing_pages/view/totocare
資料
1):友達の数で寿命は決まる(予防医学研究者 石川善樹)
2)破綻からの奇蹟 〜いま夕張市民から学ぶこと〜 森田洋之