ニューノーマルへ-コロナとその先-
変わるのは環境か、人か
真庭市で開業医をしている松坂です。
最前線の病院で働いている医療者を差し置いて記事を書くのは憚られる気もしましたが、地域に近い視線で書いてみようと思います。
現在、私が働いているクリニックでは通常の診療や訪問診療に加え、熱だけではなく、咳・鼻などの症状のある方を、別室で「かぜ症状外来」として診察を行っています。
受診控えも想定して、オンライン診療の準備もしましたが、真庭市で新型コロナウイルス(COVID-19:以下コロナ)と診断された人がいないせいか、あまり活用されていないのが現状です。
普段からよりよい診療を行うために大切にしていることは、来られる方の診断や治療だけでなく、そのことがどのように生活に影響を与えているのか、どんなことを心配しているのかを知ることです。
例えば、ひとくくりにかぜと言っても、早く治したい、仕事中に咳が出ては困る、人にうつさないか心配、肺炎ではないかなど、その背景はさまざまです。
そういった視点をもって診療を行っているとコロナの影響が見えてきます。
ひとえに影響とくくっても、仕事が減る・無くなる、感染が怖くて学校に行かせられない、感染が怖くて病院に行けなくて予防接種が遅れる、大学に行けないのに家賃がかかる、コロナだったら困るので受診するように言われた、など、いろいろなものがあります。
そして、コロナの影響は、このプロジェクトの意に反するのかもしれませんが、いわゆる地域、地方という場所の悪い点もあぶり出されているように感じています。
みなさんからコロナが家から出たらこの地域に住めなくなるという不安をよく聞きます。
確証のない話を出すのは仕事柄抵抗はありますが、そうであったという話をよく教えてもらいます。
実際に、マスクをしていなかったので怒られた、家に石を投げられた、医療職の家族だからといって不当な対応をされた、県外ナンバーの車に対するいやがらせ、などが全国ニュースで報道されており、胸を痛めることが多いです。
これはペストなど過去に流行した感染症のときに起きたことと同じことであり、歴史は繰り返されていると感じています。
悪いのは感染した人ではなく感染症のはずなのに。
もちろん地域、地方と言ってしまいましたが、都会でおきていないと言うつもりはありませんし、都会の現状を知るすべもありません。
そのような物言いで分断を招くのもよくないと思っています。
地方でも都会でも、そこにいるのは人であり、違いはないはずです。
「共感」は英語で sympathy。
symは「一緒に」、pathyはギリシャ語の pathos(パトス)が語源で、もとは「苦しみを感じる」の意もあり、語源的には「共に苦しむこと」という意味を含んでいるそうです。
コロナ禍をともに乗り切る同じ人として、お互いの苦しみを共有し、お互いに思いやる、そういった人類の革新をニューノーマルに期待したいと思います。
今後、コロナを発症した人が怒りや憎しみを受けるのではなく、思いやりとやさしさが向けられることを祈って。
みんなのクリニック 松坂英樹