ニューノーマルへ-コロナとその先-
アートについて今想うこと
アートシンキングがビジネスの世界でも重要性を増しているといわれる。
今までの課題解決型の思考法から、この不確実性の時代においてはアーティストのように自ら新たな問いを立て、直感力を働かせ、今までにないサービスや製品を生み出す力が求められている、と。従来の課題解決型の思考はデザインシンキングと呼ばれ、顧客やユーザーに適合するサービスや製品を見出す力であり、それは論理的思考から解決策を導いていく。一方、アートシンキングは、直感や感性に従った思考法に立ち、既成概念という枠組みを外して 0 から 1 を新たに創造する自己表現型の思考法である。これはアーティストが作品を創造する工程にかなり近いように思う。環境が劇的に変化し、複雑かつ変動性を増している予測不可能な現代社会において、既成概念にとらわれず、自ら創造的な問い立てができる能力が求められている。これからはそんな時代になるという。
デザインシンキングは、他者の視点に立ち、論理的に組み立てることでユーザーの最適解を導こうとするアプローチである。他方、アートシンキングは、個人の内発的動機に従って生まれるものであり、自己視点を起点とした、いわば個人の美意識によって抽出された感性が自律的に導くものである。デザインシンキングが左脳型だとしたら、アートシンキングは対極の右脳型といえ、調査結果やデータに頼るのではなく、よりよく生きようとする日々の生活から社会への洞察力を磨き、動物的な勘、つまり直感に従いながら共感を得ていく力といえる。顧客自身が気づいていなかった、けれども本質的に求めていたモノやコトを提供できたとき、そこに感動が生まれる。感動を与えることができれば、そのミッションは限りなく成功に近づく。感動体験を相手にどれだけ与えられるのかがビジネスにおいて成功の鍵を握るのであれば、アートは経済や企業組織においても大きな可能性を秘めていると思う。
補足になるが、ここでいうアートは、絵を描く、造形物をつくるという制作に限った意味ではなく、美術館で作品を鑑賞するというだけでもない。それらも含まれるが、文化芸術全般にわたる活動や、広く創造性を働かせること、心が動く現象やその作用、心の機微までを指している、と考えたい。私的なことであるが、村上春樹の小説を読む喜びや、戦慄を覚えるモーリス・ラヴェルのピアノの旋律を聴く感覚、知人からのなにげないメールの文面に体温を感じること、といった事例もアート(文化・芸術)に含めてみたいといえば、アートの裾野が広がりすぎるだろうか。
わたしたちは『ポート アート&デザイン津山』(*1)というギャラリーを運営している。その活動骨子は、アートを介する一見ささやかなきっかけが生命に滋養や潤いを与え、未来に豊かさをもたらすと信じ、小さな感情の種が育ち、やがて芽を出し、いずれ大輪の花を咲かすような原始体験を、訪れた方々にもたらしたい、そんな願いを込めて展示会を開催するなど地道な活動を行なっている。
上記のアート(シンキング)についての内容は、去る7月19日、『ポート アート&デザイン津山』にて開催した二人の経営者対談(*2)から学んだことをベースに書いている。対照的といっていい事業を行う経営者同士の対談は、対談当初、それぞれの事業の性格や方向性の違いから平行線を辿るように対照をなしていたが、時間を経るに従い互いの考えが侵食され、溶け合うような局面へと進んでいった軌跡は大変興味深かった。物事の本質を見抜くすぐれた洞察力や将来を見通す力を「慧眼(けいがん)」と呼ぶが、美意識や直感に従い、既存の常識や効率性にとらわれない経営判断をすることで新たな価値を見出だす、それを実践されている、まさに慧眼が備わった二人の仕事観や人間性に魅力を感じた。
わたしたちがギャラリー運営において大切にしている概念に「偶然性」や「創造的発見」がある。上記対談において図らずも、不確実性の時代において、目標をあえてつくらず、流されながら「偶然性」を見出だすという言葉があった。弊社でも、戦略というほどのものではないが、展覧会やイベントを企画する際には、即興性や偶発性を取り込んでいくことが多々ある。不意に飛び込んできた案件に知的な好奇心が揺り動かされたとき、成功の確信はもてなくても勇気を出して受け入れてみると、想像を超えた事象が立ち上がり、感動的な場面やシーンが生まれることがある。そのような風景を見るのが好きだからか、失敗のリスクよりも、成功の喜びを優先させる精神を会社として大事にしたいと思っている。実際は不確定要素が多いと、終始ハラハラして落ち着かないが、危険要素を予め想定し、不安要素を取り除いておけば、後はスタッフや状況を信頼し、最後はなんとかなると開き直る。失敗したら反省し、迷惑を掛けたら頭を下げることを旨としているが、その場の空気の流れに任せ、偶然性を巻き込むことで、近年アート事業においては成功率が格段に上がっていると感じている。きっちりと固めたプランより、ほどよい余白を残しておく方が豊かな結末を迎えることも少なくない。これもアートシンキングの成果といえるだろうか。
現在、世界はコロナ禍により一変し、不確実性は日々増大しているようにみえる。カオス化する社会に身を置いていると暗い側面に囚われ暗澹たる気持ちになることもある。それでも前を向いて歩いていきたい。歴史を紐解けば人類史は厳しい時代の連続だった。疫病、飢餓、自然災害、戦争、テロ、圧政など数え上げればきりがない。そして、それは今でもこの地上のどこかで途絶えることなく起きている。様々な試練が地球を覆っている現実を直視しなくてはならない。しかし、どんなに絶望的で困難な状況に置かれても、希望をもち、生き抜いてきた祖先がいて、今我々はいる。幾星霜にわたる連綿と続く人の営みの根底には「いのち」をつなぐ力強さがある。くじけることなく、明るく前を向いて歩みを進める生命力に満ちた「いのち」。その力強い「いのち」が芽吹く感覚を呼び覚ます力こそ、今必要なのではないか。そして、その鍵を握るのがアートだとわたしは思う。ドイツ政府は「アーティストは生命維持に必要不可欠な存在」だと声明を出した。芸術礼賛。こういう未曾有の時代だからこそ、時代をともす灯かりが必要であり、アートはその灯かりとなる、と。ドイツでは、アートはわたしたちの生活を支える大切な社会基盤だと認知されている。日本においてアート(文化芸術)は生命維持装置になり得るだろうか。
終戦から75年を今年迎えるが、戦後の復興期、歌謡曲は民衆のこころを鼓舞し「いのち」に火をともさなかったか。2011年に起きた東日本大震災の後、テレビから流れる一編の詩(*3)によって絆を深める大切さに気づかされなかったか。絶望の淵にあっても文化や芸術の力によって、わたしたちの心身は目覚め、本来備わっている治癒力を呼び覚まし生き返る。そうやって幾度となく私たちは蘇生してきたのではなかったか。そんな問いをしてみたい。
わたしたちは、今、否応なく新しい時代の扉を開けざるを得ない局面に立たされている。そこに希望や可能性を見出せるかどうかは、わたしたち自身と行動にかかっている。当事者意識をもち、答えのない時代のなかで共鳴する仲間と共に悩み、共に見守り、共に心を交わし、共に表現し、共に実行していくことが新しいニューノーマルを創造する芽生えになる。アートが重要性を増しているのはビジネスシーンにおいてだけではない。創造力を動員して新たな未来をつくりだすチャンスが到来している。そこにどんな問いを投げかけるのか、今、人類の叡智がアートに試されている。
『ポート アート&デザイン津山』館長、EKG合同会社代表 飯綱洋平
(*1)『ポート アート&デザイン津山』:2018年10月、津山市川崎に開館した芸術文化交流施設。大正9年竣工、築100年の「旧妹尾銀行林田支店」(市指定重要文化財)の建物をアートギャラリーに転用し、毎月1、2回程度、展覧会やイベントを開催している。コーヒースタンドも併設している。HP:https://www.port-tsuyama.com
(*2)2020年7月19日、ホテルニューアワジグループ代表取締役社長 木下学氏と合同会社イキナセカイ代表 安川幸男氏の対談を行った。対談タイトルは『百年を編む』。文中のアートシンキング、デザインシンキング等の内容は主に安川幸男氏の話から引用させていただいた。この場をお借りして感謝申し上げたい。
(*3)大正末期から昭和初期に活躍した童謡詩人、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」。東日本大震災後、ACジャパンのCMに起用され話題となった。