地域に生きる“みまさか”の若手たち
笏本 達宏さん =
地域に生きる“みまさか”の若手たち
笏本 達宏さん
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CFで活路 事業の柱に
職人が1本ずつ裁断、縫製して仕上げる。つやま産業支援センターのブランド「メード・イン・津山」第1号にも選ばれた。
高い品質とデザイン性が評価され、大手百貨店などから販売依頼が相次ぎ、首都圏や京阪神を飛び回る日々だ。
「工場は継がなくていい。安定した職に就きなさい」
社長の母・たか子さん(56)からは、こう言われて育った。美容師になりたくて、津山東高を卒業し、市内の美容室で働いた。1968年に祖母の玉枝さん(80)が創業した会社だが、「小さな田舎の下請け。かっこ悪い」と敬遠していた。
転機が訪れたのは11年前。母親が体調を崩し、初めて工場を手伝った時だった。
OEM(相手先ブランドによる生産)とはいえ、誰もが知る有名メーカーのものばかり。品質も申し分ない。「すごい商品を作っている。信頼ある会社なんだ」。誇りが芽生え、心がざわついた。
「母は自分の代で辞めると言っている。でも自分が生まれ、育ってきた背景がこの工場だ。やっぱり、未来につないでいきたい」。2008年3月、美容室を辞めた。
新たなスタートから10年弱。ようやく立ち上げた自社ブランドだったが、初年度の売り上げは数十万円。地元百貨店に扱ってもらったものの、16年度も100万円余にとどまった。
17年度、存続を懸けて活路を求めたのが、当時はまだ目新しかったクラウドファンディング(CF)だった。「1カ月余で100万円」を掲げたところ、周囲からは揶揄(やゆ)する声も聞こえてきた。地元で懸命に売り込み、Webを通じて全国に情報発信を重ねた。終わってみれば172万円。この年のネクタイCFで日本一の額となった。風向きが一気に変わった。
18年度もCFを続け、SHAKUNONEの年間売り上げは1千万円を突破、会社全体の2割を占める事業の柱となった。
伸びたのは売り上げだけではなかった。顧客と直接つながることで、従業員に「自分たちの商品を選んでくれるユーザーがいる」という意識が広がり、仕事への意欲と精度が高まった。
「圧倒的な違い。知らない世界に一歩踏み出すことで、見える世界が変わり、会社全体も変わった」
SHAKUNONEを「まだまだ土台作りの段階」と位置付けつつ、笏本さんは言う。「津山で僕が伸びていくことで、誰かが自分にもできると思うかもしれない。そんな種を生み出す源になれたら」