地域に生きる“みまさか”の若手たち
辻 総一郎さん =真庭市勝山
地域に生きる“みまさか”の若手たち
辻 総一郎さん
=真庭市勝山
伝統を守りながらも、新しいことに挑戦し続ける
一般社員としてスタートし9年ほど、併設レストランでの接客、試飲会などのイベント企画、酒造り、営業とあらゆる仕事を経験。2012年に父・均一郎さんが62歳で他界したため、32歳の若さで7代目に就任した。
「伝統を守りながらも、新しいことに挑戦し続ける」。トップとしての信念である。
幼い頃からどこに行っても「御前酒の息子」「御曹司」などと呼ばれることに嫌気が差していた。勝山高校を卒業後、プロミュージシャンになる夢を持って上京。アルバイトをしながら音楽活動に明け暮れた。
都会から古里を見つめ直すと、思っていたよりも大きな魅力があることに気付かされた。「こんな山奥に一流のものづくりに取り組む酒蔵がある。これはかっこいいことなんじゃないかな」。父の勧めもあり、23歳で帰郷した。
当時は焼酎ブームもあって日本酒の需要が低迷し、会社の売り上げも年々落ち込んでいた。酒造り名人の誉れ高く、伝統を支えてくれた杜氏とうじも亡くなった。
「背水の陣。このままでは生き残れない。蔵を守るためにも、チャレンジしなければ」
その思いが形になったのは08年。県内初の女性杜氏になった姉の麻衣子さん(43)をはじめ当時20〜30代の蔵人たちと力を合わせ、酒米・雄町米を使った若者向けのパッケージ商品を開発し発売した。
ワインボトルのような見た目から、当初は「日本酒らしくない」と敬遠された。2、3年かけて、全国の取引先や百貨店を駆け回って商品をPRした。そのかいあって次第に売り上げを伸ばし、主力商品の一つに成長した。
今、コロナ禍で業界は苦境に立たされている。今年4、5月の売り上げは例年の半分になった。その後、少しずつ回復しつつあったが、各地の秋祭りが中止となり、消費は再び冷え込んだ。
活路を見いだそうと、5、6月にはオンラインの日本酒セミナーを初めて開催。こだわりの製法や歴史を伝えた。
うれしかったのは60人ほどの参加者の中に若者が大勢いたこと。「幅広い層に興味を持ってもらえた」と手応えを感じている。
入社当時ゼロだった海外への輸出を米国、韓国、オーストラリア、欧州などの約15カ国にまで広げた。今後も輸出先を開拓する計画だ。
「国や文化を問わず、お酒は楽しい時や祝いの場に欠かせない会話の潤滑油。その場所に自分たちのお酒が選ばれていたなら、うれしいですよね」