地域に生きる“みまさか”の若手たち

岡本 千絵さん =美咲町

地域に生きる“みまさか”の若手たち

岡本 千絵さん
=美咲町

30歳までの15年間、岡山県南や東京、シンガポールで暮らしていた。 岡本さんが地元に戻り、両親が営む自動二輪・三輪車製造販売の「パドック」(津山市下田邑)に入社したのは「手伝い気分」。バイクの知識も免許もない。家族の近くで役に立てればと思っただけだった。
岡本 千絵さん

『帰ってきて働きたい』と思われる会社や地域をつくりたい

いざ働き始めると、客は優しく「バイクで人生が変わった」と喜んでくれる。店で同じ趣味の人が出会い、ツーリングを共に楽しむ。独特の経営スタイルが醍醐味だいごみとなった。3年前からは商談で全国を飛び回る父に同行。経営者としての姿に尊敬が芽生える。

「両親や従業員が紡いできた価値をつなげないともったいない」

会社の重みに気付き、2019年10月、経営を引き継いだ。

 

喫茶店「パドック」が始まりだった。

1976年、専務の母が津山市に開いた店は、レース好きが集まる場に。その後、会長で父の辰彦さん(69)が脱サラし、バイク店を併設した。

両親の実家や職場がある旧柵原町と津山市で育ち、バイクに乗せてもらうのも客と話すのも楽しかったが、仕事にする気はなく、高校は県南へ。「英語が話せたらいい」との父の薦めで卒業後は米シアトルへ留学した。

当時、シアトルではマイクロソフトなどIT企業が急成長。将来性を感じて経営情報学を修めた。米国で採用に至らず帰国。「ITで働くなら東京」と東京のIT企業に就職し、4年ほど働いた後、シンガポールの会社に引き抜かれた。

この間、両親や周囲から「帰って来い」とも「跡を継げ」とも言われなかった。それが変わったのは祖父の死。「ものすごく悲しくて。海外では何かあってもすぐ帰れない。当たり前で意識していなかった家族や故郷の大切さに気付いた」。2005年、務め先も決めず帰郷した。

バイク店の枠を超え、超小型電気自動車「e—moイーモ」、三輪オートバイ「トライク」を開発するなど事業を広げてきた両親。自身もそれに倣うかのように社長就任後、トライクのレンタルに乗り出した。

昨年からは小中高校生が地域企業の魅力や仕事を体験する「つやまエリアオープンファクトリー」に参加。子どものころの古里の思い出が帰郷につながり、入社後に自社の魅力を知って継承を決めた経験から「会社には外からのイメージとは異なる多様な仕事がある。企業側から子どもや地域に伝えることが大切」と力を込める。

会社では、各事業を部門化して伸ばしつつ、社員が地域と深く関われるよう長期連休の制度化を進める予定。3年前から外国人や若者の目線で津山の魅力を再発見してPRする取り組みも始め、今後、Uターン者や移住者が過ごしやすい地域づくりにも関わるつもりだ。

「『帰ってきて働きたい』と思われる会社や地域をつくりたい」

跡を継いで1年。ビジョンは明確だ。

PageTop