ニューノーマルへ-コロナとその先-
変わり続けること
「地方×ワカモノ」をテーマに真庭市を拠点として活動しているゆーまにわの橋本隆宏です。
普段は東京に住みながらゆーまにわの運営に遠隔で関わりつつ年に数回真庭に訪れてイベントや企画などを開催するという、軽い2拠点生活のようなことをしています。
この数か月は東京で身動きが取れない生活をしています。
6月頭からはだんだんと対面で人に会う予定が立つようになってきましたが、
それまでは1人暮らしということもあり、
直接言葉を交わす相手はスーパーや薬局のレジの方だけというような日常でした。
オンラインでは誰かしらとほぼ毎日通話する機会はあるので、
完全に砂漠に孤立した状況ではありませんでした。
ただそれでも、
こんなにも人がたくさん住んでいる都会で生活しているのに
直接コミュニケーションを取ることなく隔たって暮らしている毎日は奇妙な感覚です。
これから世界が元に戻ることはなく新しい秩序に基づいた社会生活になるんだ
という話は、いろいろなところで耳にします。
まさにこの連載の標題にある「ニューノーマル」という文言の通りです。
これからは社会の変化に合わせて1人1人の価値観や生活様態も変化していかなければいけないんだ、と。
これは本当にその通りだなと思うのですが、
むしろ今に始まったことではない当然すぎることだよな
とも、同時に思います。
今は当たり前のYouTubeが登場したのもたった15年前で、
iPhoneが登場したのでさえたった10年ちょっと前の話。
常に私たち人間は環境の変化に柔軟に適応してきたし、
今回のことも確かに急激すぎて衝撃は大きいけれど、
あくまでその一つかなと思っています。
ある意味、今までも意識しなかっただけで常に程度の差はあれ「ニューノーマル」にアップデートしていくことを求められていたし、
これからもずっと求められていくと言えるだろう、と。
むしろそれを意識できた機会と捉えるべきかもしれません。
普段は社会学的に歴史から事象を紐解く研究に触れることが多いのですが、
その中で一つ僕が好きな話があります。
500年ほど前に起こった工業革命の初期に、
イギリスの職人さんたちが「機械に自分たちの仕事が奪われてたまるか」と息まいて工場をひたすらに打ち壊していく
ラダイト運動と呼ばれる過激なデモ活動のようなことをしていました。
このラダイト運動を起こしていた職人さんたちはよく「変わることができない人たち」として描かれます。
しかし、これは別の角度から解釈することもできます。
機械化という社会の変化に合わせて
「時代に迎合する人たち」
から
「社会変化に抗うという選択肢をした人たち」
に、彼らも変化していたんだ、と。
言葉遊びかもしれませんが、これはとても面白いことだなと思います。
変わることを恐れる人も変わりたくもない人も、
結局みんな常に社会に合わせて自然と変わっている。
誰しも変化に自然と対応する力を持っているのだから、
必要以上に気負わずに適度な恐れを持ちながら、
自分なりに目の前の問題に向かっていけばいいんだ。
そんな風にも読み取れます。
僕自身はこれからも変化し続ける社会に合わせて、
東京や岡山を行き来しながら、ゆーまにわを通してその時できるワクワクをいろいろと仕掛けていくことを目指します。
ニューノーマルがどんな形であろうと、
なるようになるさ。
適度なテンションで気負い過ぎず気楽になり過ぎず、やっていきたいと思います。
ゆーまにわ co-Founder
橋本隆宏